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「中筋純さん写真展」のギャラリートーク

2014年4月2日~6日。

草加市中央公民館1階ギャラリー(入場無料)で行われた

中筋純写真展「チェルノブイリ・福島」は本日が最終日。

 

最終日の今日は、午後2:30から中筋純さんのギャラリートークがありました。

 

中筋純さん(写真家)は、1966年和歌山県生まれ。

東京外国語大学中国語学科在学中にアジア諸国、中米諸国を

カメラ片手に放浪。

卒業後出版社に編集者として勤務し、独学で写真技術を習得。

1997年中筋純写真事務所設立。

雑誌、広告撮影と平行してチェルノブイリのその後をライフワークに

撮影活動を行っている。

写真展は「黙示録 チェルノブイリ」(2009年)

「黙示録チェルノブイリ再生の春」【2011年)

2007年より6度の訪問歴がある。

写真集「廃墟チェルノブイリ」「チェルノブイリ春」(ともに二見書房)他多数

コントロールルーム

燃料棒の制御パネル

線量が高いため、10分しかいれなかった。

左側がチェルノブイリの通行許可証

右側が福島の通行許可証

左がチェルノブイリの検問所。右が福島の検問所。

2.5~3.0μ㏜もある。若い地元のお兄ちゃんが検問官をしている。

 

チェルノブイリ原発の手前の展望台みたいなところ。

炉から200m~300mほどの所。

5.55μ㏜。

この線量だとウクライナの人は車から出てこない。

ドライバーでガイドさん。

興味の湧く所に連れて行ってくれる。

茂みの向こうにプリピャチの中央病院がある。

原発の西側2Kにある赤い森。

左は137μ㏜。右は、170.9μ㏜。

奥に見える金属は、瓦礫撤収に使った機械。

病院の地下室に消防隊が脱ぎ捨てた衣類が残っているとの噂。

消防隊のノズルとジャケット。

 

ヘルメットや衣類。

衣類の上に線量計を置くと、600μ㏜。

 

 

 

 

消防隊の靴は、904μ㏜。

 

別の靴は、1330μ㏜。

当時の生き残りの方に聞くと、この衣類は間違いなく消防隊の衣類だったと。

地下室に行った後の靴底は、12.36μ㏜。

何回も洗い、ほぼゼロになるまで洗った。

福島ではとても簡単な検査。

検査だけで洗車も乗り換えなどはない。

放射能の封じ込めがない?

 

今福島はどのくらいの線量なのか。

6号線を通って行くと、車の中で、10μ㏜を超える。

地面は、40~50が平均。

原発のそばは、30~40。

 

 

道路をバリケード封鎖をしている。

帰宅困難区域に入っていない場所(境の場所)でも、線量計は、12.6μ㏜

富岡町。

 

上が放射能測定値。

下が2号機の原子炉の圧力。

3/15

郡山から来た方もお話してくれた。

 

飯館村。ゲート近く。61.34μ㏜。

ゲートの所にいる方は地元の方。

地面で61μ㏜、空間で4~5。

 

積まれているトンパックの中は2~3年しかもたない。

いたる所に積まれている。

 

チェルノブイリの瓦礫置き場。

ラソハ村。

汚染された車両関係。

汚染されたものを一歩も外に出さなかったのだが、

最近は屑鉄を狙った盗人が入ってくるらしい。

残っていた核燃料をこの施設でカットしたり

特殊な金属の筒の中に入れたり、丸い所に入れて完全に封印している。

 

石棺のクローズアップ。

中は、ゴチャゴチャらしい。

石棺はボロボロになってきている。

新石棺。

ドームを作り、それで覆い密封し、30年核燃料を落ち着かせ、

 石棺を解体して、放射性物質とそうでないものを分け、

それから最終的に処分をする。

作業は、とりあえず100年。

その後は・・・・・

原発・原発事故は、分断の構造を作る。

小笠原厚子さん。

後ろに映っているのは大間原発。

 

小笠原厚子さんのお母さんの熊谷あさこさんの漁師のお父さんが

残した名言。

「人間、海と畑があったら生きていける。」

 

海と畑があったら生きていける下北半島の大間。

マグロもあがる。

そこにJパワーが原発を建てるからと土地を買収をしていった。

あさこさんが持っていた畑の場所が地質調査により原子炉が

出来る場所になった。

あさこさんはご主人の言葉を守って、最後まで売らなかった。

初めは売らないと言っていた人たちはどんどん売ってしまった。

 あさこさんは、高額を提示されたが売らなかった。

そして、その後もずーっと畑作業をしていた。

Jパワーは、国道から『あさこはうす』に行くまでの1Kの

細くグネグネした道を作った。

 

「あさこはうす」への道をふさがれないようにするために、

『あさこはうす応援プロジェクト』http://ouen.org/asakohouse/

をしています。

ともかく毎日、「あさこはうす」に手紙(ハガキ)など届くようにしようというプロジェクトです。

 

 

チェルノブイリの汚染された大地だが、野菜を作って、

森からマキを切って燃料作って電気も通してもらっているが、

裸電球一個くらいで、原始的ながら牧歌的な暮らしをしている。

その暮らしと至近距離に悪魔の館のような原子炉が並んでいる。

 

 

 

 

 

これから30年40年・・・何年かかるかわからないが、

 

ここに集まってくれた皆さんも、今日の話をきっかけに

さらにアンテナを張り巡らしてもらって、いろんな情報を共有しつつ

生きてて楽しい世の中が生まれるように頑張っていかれたらと思っています。

 

(写真は、スクリーンに映し出されたものを載せました。

 文章は、中筋純さんの言葉を拾いました。)

中筋純さん ありがとうございました。